大庄屋上野家
江戸時代後期、天保十三年と弘化三年(1846年)の年代が入っている鬼瓦が使用されていることから、この時代の建築物であると考えられます。
主屋を中心に長屋、マヤ、土蔵群で形成されており屋敷の正面から東側にかけて長大な塀が巡らされています。
屋敷や蔵は国の有形登録文化財、書院作りの庭園は京都府の指定文化財に登録されています。

主屋は茅葺で合掌組ですが、追又首はなく、瓦葺の下屋庇が周りにあります。奥座敷は大正時代に増築されたもので、元は上間に沿って二室が二列に並ぶ「田の字」型の間取りでした。
丹後地方に広く見られる広間型ではなく、土地に沿う居室は当初から二室に区画されていました 。玄関の土間に面する側に皿戸袋を設け、雨戸状に板戸を一本溝で建て込む機構は周辺では例がありません。土間への戸口とは別に式台が設けられ、座敷には床の間を構えて大庄屋としての威厳を正しています。

上野家の歴史
上野宗信が伊賀国から丹後国加佐郡岡田庄西方寺村に往来し、上野家を興す。代々農業を生業とし、養蚕を副業としていた。
9代弥一郎宗永の時、当時一帯をを統治していた田辺藩から14の庄屋をまとめる大庄屋役に任命された。また、9代目当主から代々「弥一郎」を名乗る様になる。
12代弥一郎宗愛が府議会議員になり、その後21年間6期連続で当選している。
府議在任中は、京鶴鉄道の敷設、舞鶴・宮津港の整備、京都大学設置などに奔走し、多くの業績を残した。
12代弥一郎宗愛が衆議院議員に初当選し、明治41年(1908)の任期満了まで3期にわたって国政に参与し、勲4等に叙せられた。
地元有志による保存活動、建物を有効活用する為の話し合いが行われる。
当主が加佐地域の振興のためにと土地並びに家屋を舞鶴市に寄贈。
上野家を管理するためのNPO法人が発足。5月に再生オープンを迎える。
