現在、加佐拠点施設として改修が進められている 『大庄屋 上野家』。現在の上野家の様子をご紹介します。また、
改修のようす
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現在の上野家ご紹介
上野家 主屋
上野家
所在地:西方寺
建築時代:江戸後期
主屋を中心に、納屋、数棟の土蔵群から成り、屋敷地の正面から東側面にかけて長大な塀が巡らされている。東北後方には屋敷神(荒神さん)がまつられている。
主屋は茅葺きで、桟瓦葺きの下屋庇が四周する。主屋東(向って右)のオクザシキは大正時代の増築になる。幾度か増改築が行われているが、もとは土間に沿って2室が2列並ぶ、「田の字」型の間取りであった。丹後地方に広くみられる広間型ではなく、土間に沿う居室は当初から2室に区画されていた。ゲンカンの土間に面する側に皿(さら)戸袋を設け、雨戸状に板戸を一本溝で建て込む機構は周辺では例がない。土間への戸口とは別に式台が設けられ、ザシキには床の間を構えて大庄屋としての威儀を正している。屋根は合掌を組むが、追叉首はなし。上屋の梁行きは3間しかなく、大庄屋とはいっても上野家の主屋は格別に大きいわけではない。
ダイドコ土間にロクダイがあるのも注目される。ロクダイは、ダイドコから土間に低いユカが張り出していて、そこに竃土を設けたもので、丹後型の民家に見られる特徴的な炊事設備の形式である。
天保10年(1839)に作製された家相図をみると、主屋と露地門のあいた塀の関係は現状と変わりがない。天保13年(1842)、弘化3年(1846)在銘の鬼瓦があり、この頃建てられたのであろう。瓦師は田辺倉谷村の大月氏。江戸時代の倉谷は瓦の生産地であったらしく、舞鶴の周辺では倉谷の瓦がたくさん使われていた。なかでも大月作の瓦はよく見出すことができる。宮津市の三上家住宅(京都府指定文化財)にも、上野家と同じ瓦師の手になるものが用いられている。
主屋 現状平面図
敷地東北隅にまつられる屋敷神
西北から敷地全体を見る
西南から敷地全体を見る
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