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室町時代から始まった長い上野家の歴史を同家に伝えられる系譜をもとにご紹介!さらに、上野家に残る12代目弥一郎氏の収集物を公開します!

文明10年(1478)…室町時代
上野宗信が伊賀国から丹後国加佐郡岡田庄西方寺村に往来し、上野家を興す。代々農業を生業とし、養蚕を副業としていた。
  文化7年(1810)…江戸時代
9代弥一郎宗永の時、当時一帯をを統治していた田辺藩から任命される大庄屋制のもとで、川口中組(※1)の庄屋をまとめる大庄屋役を務めた。また、9代目当主から代々「弥一郎」を名乗っている。
※1 川口中組…岡田上・岡田中・岡田下の14の村
10代弥一郎宗斎、11代弥一郎宗睦、12代弥一郎宗愛(当時21歳)と、廃藩置県までその任にあたる。
  明治15(1882)…明治時代
12代弥一郎宗愛が府議会議員になる。その後、21年間6期連続で当選している。
府議在任中は、京鶴鉄道の敷設、舞鶴・宮津港の整備、京都大学設置などに奔走し、多くの業績を残した。
  明治35(1902)…明治時代
12代弥一郎宗愛が衆議院議員に初当選し、明治41年(1908)の任期満了まで3期にわたって国政に参与し、勲4等に叙せられた。
 


  〜12代弥一郎 宗愛について〜
嘉永3年(1850)8月5日生まれ。前述したように、京都政界の大物だったのに加え、教育にも関心が深く、新聞・雑誌・公告・書状、果ては旅行先の箸袋の類にいたるまで、あらゆる文書や資料を保存していました。約7万点にも及ぶこれらの資料は「上野家文書」として府立丹後郷土資料館に保管されており、近世・近代の地方文書としては、質・量ともに全国有数といわれています。 また、上野家にも個性ある品々が残されています。
政界を引退してからは、銀行取締役を務め、敏腕をふるいましたが、昭和4年(1929)4月6日西方寺の自宅において80歳で死去しました。


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